数年前から白鳥が飛来してくることでちょっとした話題になっていた町南の堰ですが、今年も来てくれました(^^
全部で10羽くらいでしょうか?
近くに行っても泰然としていて貫禄がある白鳥ですが、だからと言って驚かせるようなことはしないようにしましょう!
意外に浅瀬でも泳ぐようで驚きました。
また、「みにくいアヒルの子」の童話の通り、子供の白鳥は毛が黒っぽいのを確認しました。
村田町にも白鳥神社がありますが、古来より仙南地区では白鳥を信仰する風習があったようです。
柴田町や蔵王町、白石市にも白鳥神社があることからも、仙南地区の白鳥信仰が伺えますね。
そんな白鳥信仰を持つ仙南の住民と、戊辰戦争で官軍となった西国の兵士が巻き起こしたのが俗に「白鳥事件」と言われている悲劇でした。
【西軍と白鳥】
さて、仙台藩が降伏すると、西国の兵士たちが郷土にも入ってきた。その中には勝った勢いに乗って勝手な振る舞いをし住民に迷惑をかける者もいた。その頃、生存していた人の話をおぼえている沼田(村田町沼田地区)の古老の話によると、「その兵士達は沼田村にも入り込んできた。そして住民の崇めていた白鳥を殺して肉を食ったという。その頃住民は白鳥を大切にしていたので、白鳥も人に慣れて、人のそばまで平気で寄り、また、人が近づいても逃げなかったという。兵士達は、はせぐいなど振りまわして白鳥を打ち殺し、羽をむしって肉を煮て食ったという。これを咎めたりすると、酷い目にあわされるので住民たちは、悔し涙を流していた。また、子供達は、白鳥の落とした羽を集めて親しみ遊んでいたが、いま目の前で殺されるのを見て、子供心にも悲しそうであったという」と。
柴田郡船岡にも、9月になって芸州藩の兵士達が入ってきて、官軍をかさに乱暴を働き、下旬には、白鳥狩りをして、白鳥二羽を鉄砲で殺して食った。これを見た藩士が憤激し、10月に官軍兵士に発砲した。仙台藩でも、(船岡城主の)柴田家でも、ただひたすらに謝罪したが許されず船岡城主、柴田中務が11月4日に部下の罪を負って割腹してやっと事が治まったという事件もあった。
(「村田町史」より抜粋)
皆様、仙南地区で信仰されている白鳥を大事にしましょうm(_ _)m