蛇藤伝説で有名な白鳥神社は、柴田郡でも屈指のパワースポットであります。
※パワースポット=心身を癒す助けとなる精神的なエネルギーに満ちた聖地。宇宙からの目にみえない力、地球自身のエネルギー、人々の集合的な理念や気のエネルギーが高い地点とされております。
風水パワースポット検索というサイトでは、柴田郡のパワースポットとして村田町の白鳥神社が選ばれておりました。
http://powerspot.crap.jp/c/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C_%E6%9F%B4%E7%94%B0%E9%83%A1.html
風水では北に山、東西に山脈、東に水、西に道、南に開けた土地をパワースポットと見なし、この中心に龍穴と呼ばれる王者の住まいを置くとされています。
白鳥神社の北に位置する相山から、白鳥神社と村田盆地を一望しました。
神社の北に山(相山)、東西に山脈(丘陵地帯)があり、南が盆地として開けているのがお分かりになるかと思います。
白鳥神社は、北に相山、東には一本松川や白鳥神社を少し過ぎたところで東から南へと流れを変える松尾川(荒川)があり、東西には村田盆地を形成する東山・城山などの丘陵地帯があり、南には村田盆地が開け、南西には城山通りが延びています。
パワースポットの要件をほぼ満たしていると言って良いでしょう。
龍穴とは山脈(龍脈)が地に落ちる場所で、気の巡りが大変良いポイントとされています。
相山の麓にある白鳥神社は龍穴に当たり、神社そのものが龍穴と見做すことができますね。
白鳥神社は過去にも記事にしており、蛇藤の花が咲く初夏に新緑の巨木群と共に紹介いたしました。
http://town-murata.com/2010/05/post-21.html
その記事には書かなかったですが、白鳥神社には蛇藤伝説の他にも言い伝えがあります。
● 日本武尊がこの地に陣を布き東国征伐をした。日本武尊の没後、父の景行天皇が亡き尊を偲んで、尊が布陣したこの地に大宮白鳥神社を建立したのが白鳥神社の起源とされる。
● 前九年の役の時に源頼義、義家(=八幡太郎)親子が、康平5年(1062年)正 月に陣太刀一振を白鳥神社に寄進したと伝えられる。その陣太刀は今はないが、義家の自筆と言われる寄進状が現在でも神社にある。寄進状には「陣太刀 壱振 為天下泰平寄進之状如件 康平五年正月二日 源義家花印 村田郷 白鳥鎮守」と書かれてある。
(この時の蛇藤伝説は有名)
中央政府は、この後、承暦2年(1076年)に、陸奥の国司に命じて社殿を始め、付属の建物を造営させたという。
● 文治5年(1189)に行われた「奥州合戦」では、源頼朝が戦勝祈願に訪れて白鳥神社に宝鏡と太刀を寄進している。
● 南北朝時代、陸奥守北畠顕家が後醍醐天皇から命じられて足利尊氏・直義兄弟の追討を命じられた時(1335年12月)、出征に先立ち村田の白鳥神社に奉幣し太刀を寄進して戦勝を祈ったと伝えられる。顕家の軍は破竹の勢いで南下してたちまち鎌倉を陥れ、出発してから20日で京都近郊に進出し、1336年2月、京都を回復し、尊氏の大軍を九州まで追い払った。
このように武勇に満ちた伝説、伝承があり、特に日本史にも登場する名将が太刀を奉納して必勝を祈願し、戦に勝利したというエピソードが関心を抱かせます。
現在でも必勝祈願に特にご利益がある神様として、スポーツ大会や受験シーズンの時にお参りすると、パワースポット・龍穴パワーできっとご利益がある事でしょう!
有名な奥州の蛇藤(野藤)が咲くのは5月中旬、今年はどんな花を咲かせるでしょうか?
2010年に撮影した蛇藤の花